林トモアキx上田夢人 戦闘城塞マスラヲ 「既知との遭遇」     1 日没。 《そこでです、皆さん! この場をお借りして、運営側からの提案を一つお伝えしようと思います!》 聖魔杯《せいまはい》も後半戦を迎え、大会本部がその労をねぎらおうとパーティーを催《もよお》したのだ。場所はセンター前広場、開会式の行われたときと同様に円卓とごちそうが並べられている。しかし全員の注目は今、壇上《だんじょう》でマイクを持つ霧島《きりしま》レナの声に向けられていた。 《以前もこの場で申し上げた通り、この聖魔杯は総参加人数三千余名にも上る大規模な、また世界を律する権利をかけた高尚な大会でもあります! この先、いよいよその優勝者が決まるにあたり、それが日常の勝負同様、人知れず行われてもよいものでしょうか!?》 上がったのは、盛大な否定の声。 《そうです! 全くその通りです!》 (……) 会場の片隅、ウーロン茶を片手にしたヒデオもまた、声にはしなかったが納得していた。この大会に関わった者なら、誰もが知っている。この都市で行われている勝負が、どれほどハイレベルなものか。そして日が経《た》つにつれ、脱落者が増えるにつれ、その戦いは熾烈《しれつ》、過酷《かこく》なものになってきている。 ならばその最高峰《さいこうほう》はいかなるものだろう? 誰だって興味があるに違いない。 レナの言葉は続く。 《故に私ども大会本部では協議の結果、参加ペア数が残り八組となった時点で、トーナメント方式による決勝大会を行うことを決定いたしました!!》 歓声。異《い》を唱《とな》える者などいようはずもない。 (……) もしもその大観衆の中に立つ一組が、自分とウィル子であったなら。それこそが、自分が生まれ変わるチャンスなのだろうか? (……否《いな》) ヒデオは静かのかぶりを振った。 もしもではない。決勝の場に立つのは、自分たちでなければならない。 「にはは。誰が残るのかが楽しみですね、マスター。もちろんその中の一組はウィル子たちですが!」 ほら、言わずもがな。パートナーの言葉が、この上なく心強い。 レナは大きく手を振って聴衆に答えていた。 《ありがとうございます! たくさんのご賛同、ありがとうございます! 決勝大会の詳細につきましては、追々発表していきたいと思います。大会本部からのお知らせは以上です》 かしこまった一礼。後、レナは満面の笑みを上げる。 《さて前置きはこの辺で! まずはささやかですが宴《うたげ》の席を設《もう》けさせていただきました! その場に立つものを予想するもよし、その場に立つことを夢見るもよし、旧敵と健闘をたたえあい、友好を深めるもよし! この機会に、皆さんどうぞ楽しんでいってください! ではここで司会の交代です!!》 拍手|喝采《かっさい》を浴びながら、レナはもう一礼。壇上に駆け上がってきたのはツインテール、アイドルのよう着飾ったミニスカートの少女。歓声を浴びながら、レナとマイクをバトンタッチ。 《毎度お待たせ聖魔都市のみんなのアイドル、カッコちゃんで〜す♪ 盛り上がってるか野郎どもぉおおおおおおっーーー!!》 歓声というより、やたら野太《のぶと》くなった咆哮《ほうこう》。魔殺商会《まっさつしょうかい》グループ提供の深夜番組、、『今日の聖魔杯』のおかげで労働者や覆面《ふくめん》連中からの絶大な支持《しじ》。 「ヴィゼータさんは今日も元気なのですよー」 (元、同僚……) あまり話したことはなかったが、少し感慨《かんがい》深いものがあった。またビンゴ大会やらじゃんけん大会やら様々な企画があるらしい。もちろん、聖魔杯上の勝負は抜きでの純粋なお遊びだ。ヒデオはメインイベントである、敗退者同士によるエキシビションマッチを楽しみにしていた。 「あら、新米《しんまい》じゃない」 「うぁ。エリーゼ……」 酒瓶《さかびん》片手のエリーゼ・ミスリライト。すでに悪者モードというか、素《す》の表情。苦手意識を芽生《めば》えさせたように後退《あとずさ》るウィル子。 「な、何の用なのですかー」 「何って、見かけたから挨拶《あいさつ》してあげたんでしょうが?」 ぺたぺたウィル子の顔を撫《な》でながら、エリーゼは心外そうに言った。それから、これ見よがしにヒデオへと振り返り。 「ふん。勝つのはわたしよ。神様になるのはわたし。決勝で無様《ぶざま》に負けるのはあんたたちなわけ。おわかり?」 「……」 まあ実際、彼女と翔希《しょうき》のペアは強い。可能性としては充分すぎるほど。しかし、さっき決心したばかりなのだ。ここは少しでも何か言い返してやろう、とヒデオが考え込む間に。 「……ふ、ふんっ、何よその目は! 別にわたしは、あんたになんか感謝してないんだからねっ! だって、精霊に方が人間より偉《えら》いんだからねっ! わかった!? わかったら神棚《かみだな》でも作って崇《あが》め奉《たてまつ》りなさいよね、まったくっ!」 酒でも入っていたのか、赤い顔をして言うだけ言って、去ってしまった。 「な……なんというツンデレですか……」 慄《おのの》くウィル子。 「……。なるほど、あれが」 「そうですマスター。先回のウィル子は、ただ単にブチギレていただけです」 そんな様子を見ていたのか、苦笑しながらやってきたのは翔希だった。 「口ではああ言ってるけど、本当にヒデオに感謝してるんだぜ、あいつ。精霊として、道を踏み外さずにすんだ……ってさ」 (……。) 感謝されるようなことをした覚えがない。 「で、そういうプー太郎は何の用なのですかー?」 「プーじゃない! フリーターだっ! ……いや、そんな気楽な生活も、この大会が終わったら卒業だな」 「?」 「|こ《、》|っ《、》|ち《、》|側《、》の世界に戻るってことさ。関東機関《かんとうきかん》に正式に入ろうと思ってな。鈴蘭《すずらん》や貴瀬《たかせ》と連《つる》んでたんだ、名前くらい聞いたことあるだろ?」 とんとない。が、あるのだろう。どこか自慢げな表情から察《さっ》するに、そういう名の知れたところが。 「改《あらた》めてこっち側に来て、吹っ切れたって言うかな……ま、そういうわけだ。次に戦うときの俺たちは手強《てごわ》いぞ。決勝トーナメント、楽しみに待ってろよ」 翔希は屈託《くったく》のない笑みを浮かべ、去っていく。 (……。かっこ、いい……) 二人が二人とも、その場に立つことを微塵《みじん》も伺ってはいない。自信、自負。ヒキコモリとなって失ってしまったそれらを、まずは取り戻そう……。 勇者の後姿を見送りながら、また決意を新たにするヒデオ。 「ヒデオくん、楽しんでるっ!?」 いきなり後ろから抱き付かれて何事かと。 「……霧島さん」 振り返って綺麗《きれい》な顔があったので、二度びっくりする。 「ますたー。ますたー、固まりすぎです」 「あ、こめんごめん。さすがに抱きついたままじゃ話しにくいか」 解放されて、ほっと一息。 「霧島さんも、司会お疲れなのですよー」 「ありがと、ウィル子ちゃん。でもやっぱりヒデオくんとウィル子ちゃんすっごいよねー! 聖魔グランプリまで優勝しちゃうんだもの。どう、今後の展開とかは?」 ヒデオはウィル子の顔を。ウィル子はヒデオの顔を見る。要するに、それぞれにそんな展望は持っていない、 「……。まぁ。いつも通りに」 「そっか。でも逆に言うと、それが優勝候補の貫禄《かんろく》?」 そんな風に見えてしまうのだろうか。愛くるしいレナの顔に、少し照れる。 「でも、魔殺商会と縁を切っちゃったってほんとなの? なんかもったいない気がするけど……スーツ姿とか、かっこよかったのに」 「あー……ウィル子は確かにもったいないのですが、マスターが……」 (……) 今日もパーティーということで、ウィル子に言われるままいくらかのオシャレをしてはいるが。まあ資金に余裕はある。また今度、スーツを仕立てに行くのも、いいかもしれない……。 「うふふ、まあヒデオくんなりの考えがあるんだろうし……これからも期待してるよ、ヒデオくん! じゃ、ボクはまだ仕事があるから。二人ともゆっくりしていってね」 結局ろくすっぽ話せぬうちに、ウィンク一つ。レナは忙しそうに去っていった。 「……。ますたー、実はやっぱり霧島さんの事を狙ってますか?」 「……否。まさか。決して、そのような、おこがましい」 そうしてしばし。ウィル子とこれまでのことを振り返ったり、インターネットやゲームの世間話。 「よ、ヒデオじゃねえか」 「お、ほんとだ。どうしたの、こんな隅っこで」 今度はリュータとリリーだった。後ろにはみーことエルシア。ヒデオからしてみれば、少し意外な組み合わせ。こんな会場だから千客万来《せんきゃくばんらい》。 (……) 同時にヒデオは、たかが二週間やそこらで、よくこれだけの知り合いが増えたものだと感心する。東京にいた二年間は、なんと無為《むい》だったのだろう。身につまされ、また、この現状がいやに嬉しい。 みーこが微笑みながらウィル子に。 「調子はどうかの?」 「お陰様でぼちぼちです。ごはんがおいしいのですよー」 実際、あの件以来のウィル子はよく食べる。胃が小さいヒデオはそろそろお腹いっぱいだが、ウィル子は変わらぬペースでまだまだ食べ続けている。 エルシアが、いつかのようにヒデオの双眸《そうぼう》を覗き込んでくる。 「あなたの魔眼に、決勝に残る八組は見えているのかしら」 やはりどこか、からかうような言葉遣い。リュータが猛烈《もうれつ》に食って掛かる。 「おいおい、変なこと聞くなよエルシア! 楽しみが減っちまうじゃねえか!」 「えへへぇ……そんなこと言って、自分がその中に入ってないのが怖いだけだったりして?」 「てんめえ、バカにするなよリリー。もしそうだったとしてみだ、オレはそんな運命いくらでもぶち破ってみせるぜ」 そう、この覇気《はき》だ。この都市に来て様々な人物を見てきたが、やはりこうした怪気炎《かいきえん》を持つ連中ほど高い評価を得て、高位に付けている。 受付でリュータに言われた言葉ではないが、彼とエルシアのペアもまた、翔希たち同様、実際に決勝に残りそうな気がする。 (……) あとはその場に自分がいることを、信じて疑わないだけ……。 「みんな、聞いてくれ!」 見ず知らずの男が、そうした談笑の場に駆け込んできたのはそのときだった。 毛先が上向きの少年漫画的七三わけに洒落たメガネ、センスのよいジャケット姿、しかしその表情は切迫していた。 次の瞬間、彼の口からある真実が明かされる。 「ロズウェルは、本当にあったんだよっーー!!」 「「「な……なんだってー!!」」」     2 叫んだのはウィルっ子を筆頭に、リュータとリリーの三人。みーことエルシアはそれぞれのお喋《しゃべ》りに夢中で聞いてもいない。 「ますたー。ますたー、こういうのはノリです。楽しまないと負けなのですよー」 「そうそう」 リリーまで頷《うなず》く。そして、はたと我に返ったリュータが頭を掻《か》く。 「いや、妙な迫力で圧倒されちまったが……よく考えたら、ロズウェル自体は実際にある地名だよな?」 あはははは、と三人が笑う。 (……) ヒデオ一人だけが取り残される。目の前の男と目が合う。 「すまない……俺としたことが、自己紹介がまだだったな。俺はマジカル・ミステリー・マガジン・ルポタージュ、略してMMMRのリーダー、コバヤシだ」 「川村、ヒデオ。と、言います」 ガッ! と固い握手を交わしたヒデオ。 MMMRとは? 風が吹けば|桶《おけ》屋の作った魔法のUFOが儲《もう》かる的な、世間の度肝《どぎも》を抜く論調で一部マニアに絶大な人気を誇《ほこ》る、別冊週刊フライDのオカルトコーナーである。単行本化されたものが、マジカル・ミステリー・マガジン。 「……。それで」 「まだわからないのか!? ここに来た目的がーー!!」 えらい勢い込んでいることだけはわかるが、もう少し噛《か》み砕いてもらわないと、さっぱり。 一度横向きに俯《うつむ》いた後。 コバヤシは、クワッ!! と目を見開いた。 「地球外知的生命体は、本当にいたんだよっーー!!」 「「「な、なんだってー!!」」」 後ろで大袈裟《おおげさ》に驚くウィル子たち。 そしてまたリリーが、ケラケラケラケラと笑い出す。 「魔物も天使も精霊も妖怪も神さまもいるのは知っているけど、宇宙人はさすがにどうかなあ……?」 リュータも腹を抱えつつ。 「だよなぁ。第一、見た目だけならもっとおかしな生き物だって、この都市にはゴマンといるわけだしよ」 信じようともしない彼女らに対し、コバヤシは絶望したかのように項垂《うなだ》れる。 「く……!? やはりここにいる全員、政府によって洗脳済みか……。俺たちは、遅すぎたんだ……何もかも……」 盛り上がるのも早ければ、へこむのも|随分《ずいぶん》勢いがよく、それを見てウィル子たちがまた笑うものだから……いたたまれなくなってしまうヒデオ。 「いえ。あの。……連れが。大変な、失礼を」 「!? 君はまだ洗脳されていないのか……!」 ちょっと。ちょっと困ってきたが、ヒデオは訪問販売や宗教の勧誘《かんゆう》をいまいち断り切れない性格だった。もっとも、無口と目付きの悪さで向こうから帰ってしまうのが常だったが、彼にはヒデオの双眸に負けじの迫力があった。 「人類を救うために、協力して欲しい! 彼に会えば、全《すべ》て理解できるはずだ!!」 コバヤシは有無を言わさぬ迫力でヒデオの腕を掴《つか》み、そして走り出す。 「ちょっ、ますたぁ!? どこへ行くのですかーっ!」 どこへも何も。エキシビションマッチは自分だって見たいのに。 「頑張れよーヒデオ!」 「後で話聞かせてねー!」 呑気《のんき》に手を振るリュータとリリーを後に、ヒデオは強引に連行されたのだった。     ・ みんなセンター前広場に集まっているので、街中には人っ子一人いなかった。うらぶれたような静寂《せいじゃく》な一角で、コバヤシはここで待つようにと言い残し、姿を消した。 「それにしてもマスター、今回はまた一段と厄介《やっかい》なのに引っかかりましたね……」 「……」 正直、本当に、全くそう思う。はてさて、鬼が出るか蛇が出るか……と待つこと少々。 「待たせたな!」 ゴゴ……ゴゴゴゴゴゴゴゴ……! そんな擬音《ぎおん》が聞こえてきそうな、異様な雰囲気《ふんいき》の中、彼は現れた。ただし一人ではなく、傍《かたわ》らに子供と同じくらいの背丈《せたけの》の、痩《や》せっぽちな、しかし頭と目が異様に大きい、全身銀色の……。 「まっ……まままっ……ますたぁあああ!!ついに、ホンモノのイロモノが現れたのですよーッ!!」 ガタガタ震《ふる》えるウィル子。 宇宙人。いわゆる、リトルグレイ。 (……) 「……ってマスター、なぜ驚く以前にがっかりしているのですか? 無口で読書好きな女子高生型宇宙人なんて、きっとそうはいないかと」 「……。まさか。決して、そのような」 さておき。 コバヤシが力説する。 「どうやら信じてもらえたようだな……このままでは、人類は地球外知的生命体の侵略によって滅亡《めつぼう》するっ!!」 「な、なんだってー!!」 驚愕《きょうがく》と危機感いっぱいのウィル子が叫ぶ。 「ですが、いったい何を根拠《こんきょ》に!?」 「勘だ!!」 ……ちょっとだめかも知れない。この人。 「待ってくれ。何もあてずっぽうに言っているわけじゃない……MMMRの長年の調査によって積み重ねられた、勘だ!!」 観であることに間違いはないらしい。しかし探偵に最も重要なものは、経験に裏打ちされた観である……と、とある探偵が言っていた。 「えーと、それで結局……ウィル子たちにどうしろと」 するとコバヤシは哀《かな》しそうに俯いた。 「……俺にだって、わからないことくらいあ……ある……」 「いきなりですか……」 興味深げにグレイの、黒目しかないアーモンド型の目を見るウィル子。 「ピコポ。ポゥピピピ……」 「喋ったぁああああああああ!?」 ウィル子は後退ると言うより、いよいよ飛び退《の》いた。ヒデオには、喋るというより電子音のように聞こえた。 「ポコ。ポゥピポ……」 何やら身振り手振りをするグレイ。彼は左の手首に、複雑な時計のようなものを付けていた。少し変わった電卓数字のようなものが点滅しており、一人冷静なヒデオに向けて指し示す。 (……) 時間を知りたい? 人間相手ならそれもアリだろうが、その点滅の表示が変わることはない。いや、あるいは逆に考えて、彼が時間を知りたいと仮定すれば。 「……。壊れている、と」 「ピコポン♪」 なんだか正解したような音と一緒に、グレイが二度、頷いた。 「「なっ……なんだってぇええええええええええええっーー!!」」 コバヤシまで一緒になってしまった。 「君は、彼と会話ができるのかっ!?」 「ますたー、いつの間にそんな特殊技能をっ!?」 ……日本語で問いかけたのを聞いていなかったのだろうか。ともあれメモとペンを取り出したコバヤシが、早口《はやくち》にまくし立てる。 「続けてくれっ! 俺にはその一部始終を記録し、政府によって隠蔽《いんぺい》されたこの事実を世界に公表する義務があるっーー!!」 深く突っ込むのはやめておこう。こうしてグレイが実在している以上、本当に厄介なことになりかねない。 (……) しかし何を聞いたものか。 「……。それは、時計ですか」 「ピコ……ブー?」 やや不正解だったようなあいまいな音と共に、グレイは首を傾げた。 まず、状況をよく鑑《かんが》みる。彼はその腕時計のようなものについて、何かを訴えかけていた。彼は地球の外から来た。にも拘《かかわ》らず、それしか身に付けていない。 現代の地球人から見た尺度でしかないが。 「……それは。大事な、ものですか」 「ピコポン♪」 この方向でいいらしい。大事なもの。自分なら、見ず知らずの土地へ出かけるのに何を持っていくだろう。時計。お金。パスポート……お金、パスポートは違う気がする。遥《はる》か宇宙の彼方からの来訪者だ。ならば旅行ではなく、探査隊だとしたら。 「……それは。コンパスですか」 「ピコブー」 さっきと同じ反応だ。 ……いや。いやいやいや。 待て待て。相手は、宇宙空間を渡って別の惑星に辿《たど》り着くほどの、高度な知性の持ち主ではないのか? ならばこちらの人類だってコンパスつきの時計ぐらい、すでに開発しているのだ。彼がいまいち頷ききれないのは、そういうことでは? 「……もしや。時計や、コンパスなど。多機能な、機械でしょうか」 「ピコポン♪」 おおおー、と外野がどよめいた。 そしてまた、彼のほうから新たなアクションがあった。古い特撮《とくさつ》ヒーローのようにその機械を口元に寄せ、口を動かす。次にそれを放して、また口を動かす。 (……わかった) 彼はあの時、唯一《ゆいいつ》話を聞いてくれそうな自分にそれを見せた。そして彼は、YES,NOではあるが意思疎通《いしそつう》の方法を知っている。 ヒデオは確信を持って聞く。恐らく彼は、こちらとのコミュニケーションの術を持っている。 「……翻訳機《ほんやくき》。ですか」 「ピコピコポンッ♪」 大正解の音がした。     3 「ん〜? これは……?」 ウィル子はいつだかジャバンに感染したときのように、グレイの腕時計型翻訳機に触れていた。目を閉じて何やら集中している。 「……あ〜、たぶんですが、バグってるのですよー」 「君にはそんなことがわかるのか!?」 コバヤシに、ウィル子は再び目を開け事も無げに頷く。 「アルゴリズムやスクリプトの意味は全くわからないのですが……ざっと眺《なが》め渡した感じ、不自然なのですよー。人間にわかりやすく言えば、象形《しょうけい》文字に穴が開いているとか、それが刻《きざ》まれた石版が欠けているような感じでしょうか」 人間では抽象的にも捉《とら》えられないそんなことも、その世界に生まれ育った彼女だからこそ、視覚的にたとえられるのだろう。 「ピポゥポ?」 「あっ? これは……グレイさん、もうちょっと適当に喋ってみて欲しいのですよー」 「ポコピゥポ……ピポ…、プルポポ……」 「何か脈があったのか!?」 「はい。全損というわけでもないので……」 彼はこちらの言葉は理解できているのだ。彼の言葉を、こちらに向けて翻訳できないだけで。グレイが喋ることによってプログラムが作動する。ウィル子はその動きから翻訳システムの概要《がいよう》を把握。そして。 「埋めて……削って……ここはたぶんこっちのプログラムで……Will.CO21はお仕事中です。しばらくお待ちください。」 お仕事モードにはいった。 その様子を固唾《がたず》を呑んで見守りつつ、コバヤシは聞いてくる。 「君、彼女は一体……!?」 「……えぇ。まぁ。そういう、子なので」 「そうか! なるほどな……!」 握りしめたペンを、颯爽《さっそう》とメモ帳に走らせる。慣れてくれば扱いやすい人なのかも知れない。 しかし。 「Will.CO21はお仕事中です。しばらくお待ちください。」 しかしだ……。 「Will.CO21はお仕事中です。しばらくお待ちください。」 長い。 さすがに未知のプログラム相手では勝手が違うのか。フリーズ寸前のパソコンのように動きがない。ようよう、十分ほども待った頃だろうか。 突然ウィル子がキレた。 「ああああああああああもう遅い!! サーバークラスでも埒《らち》が明かないとは! パワー! もっとCPUパワー! 一旦《いったん》場所を買えて回線の広いところに! 何ヶ所かのスーパーコンピューターを並列《へいれつ》にハッキングして……!」 恐れろしく負荷のかかる処理らしい。 「ピコポピ」 「は? マザーシップに……? このポート……」 ピピッ、と腕時計型翻訳機の表示が切り替わった。 「って、うわっ!? 速っ!? 速ぁっ!? キショッ!? キモッ!? なんなのですかこのプロセッサーはっ!?」 「ぴ……ポピゥ……ザ……まざーしっぷ ノ めーんこんぴゅーたー ニ りんく シタノデス。地球上ニハナイ 量子《りょうし》型こんぴゅーたー ナノデス」 喋った。まだかなりカタコトの、嘘くさい宇宙人のような声だったが、ちゃんと聞き取れるようになった。 「うはー……、びっくりしたのですよー……これが量子コンピュータですか……」 一仕事終え、いい汗半分、冷や汗半分のウィル子。 「アリガトウ。アナタノ オカゲデ まざーしっぷ トモ連絡ガ取レソウデス」 カッ、と目を見開いたコバヤシ。 「つまり、侵略のための母船がすでに地球の近くに来ているということか!?」 「ソウデス」 ……。 …………。 十数秒ほどたっぷり固まってから。 「「な、なんだってーーー!?」」 ウィル子とコバヤシが同じように驚いた。 奇しくもMMMRリーダーの勘は、大当たりしていたのである。 一方で、陰ながらその様子を覗《うかが》っている者がいた。 「……中佐! 聞コエルカ中佐! コチラすもーく!」 《コチラ、中佐ダ! ドウシタ、すもーく!》 「目標ヲ発見シタ! ダガ、ヤバイコトニナッタ……!」     4 「申シ遅レマシタ。ワレワレ ハ 宇宙人デス」 「我々は。平和を愛する、人類です」 ガッ!! ヒデオはグレイと固い握手を交わした。 「川村、ヒデオ。と、言います。こっちは、ウィル子です」 「いえいえいえ、ますたぁ!? このグレイ、たった今侵略とか物騒《ぶっそう》なことを!」 「ソウデス。コノ☆ハ」 星、と言ったのだろうか。まだ少しバグの影響が残っているらしい。 「今後 ワレワレガ 統治シテイク予定デス」 「……。なぜ、ですか」 握手を解《と》いたヒデオが聞くと、グレイは頷く。 「ソレハアナタガタ 人類ガ トテモ好戦的ナ種族デ 知性モ 高イれ|う《》ぇるニ 達シテイルカラデス」 「だが、それがなぜ!?」 今度はコバヤシに向かって頷くグレイ。 「ワタシハ ◆○♪X銀河統合政府 カラ 派遣《ハケン》サレ コノ☆ノ 調査ニ当タッテキマシタ」 「な、なに? どこだって? よく聞き取れなかったんだが……」 「あー、コバヤシさん。ダメなのですよー。固有名詞は地球上に該当《がいとう》する発音がないので、変換しきれないようです……」 「なるほど、そういうことか!」 彼がわざとらしく宇宙人と名乗ったのも、そういうことなのだろう。 グレイの話は続く。 「ワレワレハ 宇宙ノ平和ト 秩序《チツジョ》ヲ 守ルタメ 活動シテイマス。ソノタメニ アル一定水準以上ノ 文明れ|う《》ぇるヲ持ツ☆ニハ ワタシノヨウナ えーじぇんと ガ 派遣サレルノデス。ソノ報告ヲ 元ニ 統合政府ヨリ 最終的ナ 判断ガ下サレマス」 スナワチ、と前置きし。 「ソノ☆ガ ワレワレノ仲間ニ 相応シイカ否カ」 「そ、それで……」 恐る恐るウィル子が聞く。 「ダメなのですか?地球は……」 「ソウデス。ワレワレハ マズ最初ニ コノ☆デ最モ 権力ヲ持ツ あめりか連邦政府ニ こんたくとヲ 試ミマシタ。彼ラハ 地球ノ平和ヲ 約束シマシタガ 結果ハ ドウデショウカ」 グレイは否定的に首を振った。 「今ナオ 地球上ニハ 争イガ絶《タ》エマセン。倫理的れ|う《》ぇるハ充分ニ 成熟シテイルハズナノニデス。ソンナ人類ガ コノママ 宇宙ヘト飛ビ立テバ……」 「……。平和と、秩序が。乱れる……と」 ヒデオの神妙《しんみょう》な声に、グレイは頷く。 「ソコデワタシハ 政府以外ニモ 古クカラ コノ世界ヲ統治スル存在ガアルト聞キ ソノ存在ヲ決メル コノ大会ニ、一縷《イチル》ノ望ミヲ託《タク》シマシタ。参加者ト身分ヲ偽《イツワ》ッテ 調査ニヤッテキタノデス……」 「しかも参加者ですか!?」 「俺はてっきり、こうした宇宙人ばかりが集まるものと思って参加した!!」 リュータたちが宇宙人など歯牙《しが》にもかけなかったように、コバヤシはコバヤシで剣と魔法の世界など思いもよらなかったのだろう。 それにしてもこの大会の受付は、人間でなければほんとに見境がない。 「デスガココデモ 待ッテイタノハ ヤハリ失望デシタ」 自分とウィル子は、どうにか物騒な勝負を避《さ》けている。しかしそんなのはごく稀《まれ》な話で、この大会で行われる勝負の大半は、バトルとも呼ばれる通常ルールだ。争いがどうのこうのの観点で見れば、優勝者は自《おの》ずと最強の名声を手にするだろう。そんな者が統治する世界。彼の失望もやむなし、なのだろうか? 「ヨッテコノ☆ハ ワレワレノ管理下ニ 入ッテモライマス。人類ノ目カラ見レバ ソレハ侵略ト映《ウツ》ルコトデショウ。ソシテ人類ノ性質カラ抵抗ガ起キ 多少ノ悲シイコトガ 起コルコトモ予想サレマス。デスガ ワレワレハ 来タル宇宙大戦争ヲ 回避《カイヒ》スルタメ……」 「なんてことだ……人類は、滅亡するんだよっ!!」 本当なら大変な話である。実際そうした宇宙人|襲来《しゅうらい》の映画はたくさんあるし、容易《ようい》に想像できてしまって怖い。 「えーと……どーしますか、ますたー」 「……。僕に、だって。わからないことくらい……ある……」 コバヤシの言葉を借りて、本当にどうしようかと思考を巡《めぐ》らせていると、ふとあるものに目が止まった。 (……。) 段ボール箱である。愛媛みかんとロゴの入った、どこにでもある段ボール箱が、動いたような気がしたのだ。 「シマッタ、中佐! ドウヤラ気付カレタヨウダ!」 《すもーく、急イデ身ヲ隠スンダ! 地球ニハ、だんぼーるトイウ魔法ノ箱ガアル!》 「コチラすもーく、今ソノ中ニイル……!」 妙に渋い声同士が、無線で連絡を取り合っている。グレイもさすがに気付いたらしい。 「ソコニイルノハ 何者デスカ」 「クソ、コウナッタラヤルシカナイ……!」 《待テ、すもーく……!》 無線からの制止の声を振り切るように、ニュウムと段ボール箱が伸び上がった。 「足っ……!?」 ひっくり返りそうになるウィル子。それもそのはず、段ボール箱の下から伸びたのは足。否。足というよりそれは……何本もの、まるで触手。 その中の数本が、段ボール箱を脱ぎ捨てる。 中から出てきたのは、あたかも野戦ジャケットを着たタコのような、クラゲのような。 「ソコマデダ、ぐれい!」 「ソノ 姿ハ……! 火星軍特殊|空挺《クウテイ》部隊ふぇっくす はうんど デスカ!?」 ……。 …………。 「「なっ、なんだってーーーーっ!?」」 火星人だった。     5 「サテハ。ワタシノ端末ヲ 壊シ 調査ヲ妨害シテイタノハ アナタデスネ!」 「オ前タチノシテイルコトハ、明ラカナ内政|干渉《カンショウ》ダ!」 そう言ってすもーくは、右の触手には絵に描いたような光線中を、左の触手にはサイバーナナイフを構える。 「コノ星ハマダ、明ラカニ発展途上ノハズ! 早期ノ軍事介入ハ、条約違反ダ! 天ノ河銀河連合トノ、外交問題ニ発展スルゾ!」 「シカシワタシハ ◆○♪X銀河統合政府カラ派遣サレタ えーじぇんとニ過ギマセン。ワタシハ アリノママヲ 報告スルノミデ判断ハ 政府ニヨッテ 下サレマス」 助けてジャバン。早く宇宙刑事になって。 「クソ! ヤハリ言ッテモワカランカ……!」 《待テ! 早マルナすもーく!》 先手必勝とばかりに動いたのはすもーくだった。 「食ラエ! 火星仕込ミノ|くろーす《C》・|おくとぱす《O》・|こんばっと《C》ヲ!」 流れるような触手の動きが、グレイの銀色の細腕を捉えようとした瞬間。 「愚カナ」 グレイの広げた手の平から、淡い光の波紋が発せられる。 びみょん。 なんか現代の物理法則を無視したSFチックな音と共に、すもーくの軟体は弾き飛ばされ、コンクリート壁にベタリと打ち付けられた。 「グッハァ〜ッ!!」 《何ガ起キタンダすもーく! 応答シロ! すもーく! すもーーく……!!》 なぜかゲームオーバーを連想してしまいそうな、絶望的な声が無線から聞こえてくる。壁からこんにゃくの剥《は》がれ落ちるように、すもーくの体がべたりと地に落ちる。 「ク……クソ、コレホドノぱわートハ……!」 「アナタタチノ 文明れ|う《》ぇるデハ 到底《トウテイ》敵《カナ》ウハズモ ナイトイウノニ……」 溜息さながらにグレイがかぶりを振る。 「外交員ヘノ 武力行使ハ ソレコソ条約違反デス。ソシテアナタハ 火星モマタ 地球ト同程度ノ 低い文化れ|う《》ぇるニ アルコトヲ証明シテシマッタ……」 そこにウィル子が小さく挙手《きょしゅ》。 「えーと……つまり、話がよく見えないのですが……どちらか解説を」 「「……」」 そうしてどちらともなく話し始めたことをよくよく検討すると。 グレイの◆○♪X銀河統合政府は卓越《たくえつ》した科学技術を持ち、宇宙の秩序と平和を乱さぬために、自称宇宙の警察銀河を名乗っている……云々《うんぬん》。 それが横暴だとして、各惑星の各知的生命体による自治権を優先せよ、というのが◆○♪X銀河統合政府より幾分《いくぶん》文明的、軍事的にレヴェルの劣る、我らが天の河銀河連合の主張。これによってお互いは対立しているようだ。 争いを抑圧《よくあつ》するための秩序化、人権の基本たる自由か。異星間を往来するほどの高度な文明をもってしても解決しない、難しい問題がそこに立ちはだかる。この調整が難しいからこそ、なかなか争いというのは絶えないのだ。 (が……) そんな答え、一介《いっかい》のヒキコモリにだって出せるはず無し。いつしか場は、グレイとすもーくの言い合いに発展していた。 「まるで冷戦時代の、米ソの水掛け論だな」 と、表情を難しくするコバヤシ。恐らくそれは、答えのない問題だからだろう。そしてお互いに正義を過信すれば、結局は武力問題に発展する。 「……。ウィル子」 「はい? 何ですか、マスター」 飽《あ》きてしまったのか、心ここにあらずだったウィル子がはたと振り返る。 「帰って、もらおう」 「……。問題を投げましたね、マスター」 「世紀末を過ぎてなお、人類の滅亡は避けられないというのか! ノストラダムスっ!!」 どこに向かって叫んだかは知らないが、とりあえず否。 「勝手に。他人様《ひとさま》の星に来て、ああでもない、こうでもないと。うんざりです」 そもそも今夜は飲み食いしながら優雅にエキシビションマッチを見たかったのに、何が楽しくてこんな道端《みちばた》で、面白くもない立ち話を続けなければならないのか。 「ナンダト! 俺タチハ、オ前タチノ星ノタメニ……!」 「ソレハ ドウデショウカ。天の河銀河連合ハ ソウダトシテモ。火星トシテハ 地球ヲ植民星化シタイ ダケナノデハ」 「ウグ!? キサマ……!」 いくら文明や科学が進んでも、倫理《りんり》や哲学の進歩というのは難しいのかもしれない。 (……ならば) ヒデオは今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に、割って入った。二人とも、地球上のものではない不思議《ふしぎ》な肌触りがした。 「ナンダ、邪魔ヲスルナ!」 「コレハ 我々ノ問題デス。アナタハ 下《サ》ガッテイテ クダサイ」 「断じて、否です。そこまで言うのであれば、まずは、あなた方が。どれほどのレヴェルの知性体かを、試させてもらいます」 「おおっ。マスターが、ちょっぴり負《ふ》のオーラで本気モードに!」 一旦《いったん》顔を見合わせたグレイとすもーくが、再びヒデオに振り返る。 「オモシロイ 提案デスネ」 「ダガソンナモノ、ドウヤッテ確カメルンダ?」 ヒデオは一息。人差し指を立てた。 「映画を一本、見てもらいましょう」     6 「ナルホド。映画ハ 地球上デ 最モ進化シタ 総合芸術デス。知的れ|う《》ぇるヲ 推シ量ルニハ ヨイ提案デスネ。実際ニ見タコトハ アリマセンガ」 レンタルビデオ屋にやってきた。当然誰もおらず、カウンターの覆面だけがヒマそうに雑誌を読みふけっていた。 「やあ、ヒデオくんにウィル子ちゃんじゃないか。パーティーはもう終わったのかい? ……って、今日はまた奇妙なのを二人も連れてきたね」 「人ヲ 見カケデ 判断スルトハ オコガマシイ」 「ソノ点ニツイテハ、珍シク意見ガ合ッタナ」 小柄な宇宙人二人の迫力に、少々押され気味の覆面。目を逸《そ》らすようにヒデオへ向き直る。 「……えーっと……何か見に来たのかい?」 首肯《しゅこう》。 レンタルビデオ屋ではあるが、昨今《さっこん》の時勢に乗ってネットカフェのような、大型モニターつきの個室完備のお店であった。しかしリリーの命令によって、過度《かど》の萌《も》えを助長《じょちょう》するような二次元作品は、秘密裏《ひみつり》にしか貸し出していない。 「全員で見るのかい? じゃあ一番大きな部屋で……」 鍵を預《あず》かり、まずは洋画のアクションムービーのコーナーへ。 「見ナサイ、コノ暴力的ナ 作品ノ 数々ヲ! 人類ノ本質ヲ 謳《ウタ》ッテイルトハ 思ワナイノデスカ」 「キサマコソ、ヨク見タラドウダ! 主力兵器ガ未《イマ》ダニ火薬銃ト爆弾ダゾ。コレコソ発展途上ノ何ヨリノ証拠ジャナイノカ」 一触即発《いっしょくそくはつ》の二人の横で、やや気まずそうな、コバヤシとウィル子。 「それで……ヒデオ君。君は一体、彼らに何を見せようというんだ?」 「ますた〜、アクション映画では明らかに逆効果です。ヒューマンドラマとかハートフルコメディならあっちに……」 否。 ヒデオはようやく見つけた一本を、迷いなく手に取った。ウィル子とコバヤシが飽きもせずあの驚き方をしていたが、まあ自分もまた見たかったのでこれでいいや。 文明はどうか知らないが、同程度の倫理観であればわかってもらえるに違いない。決して彼らの道徳が進んでいるわけではなく、だからこそ、こちらの道徳がいかに進歩しているのかを。 借りた映画のタイトルは『ランボー』。いわずと知れたアクション映画の金字塔《きんじとう》である。     ・ 最初こそぶつくさいいながらのグレイとすもーくだったが、すぐにその言葉をなくしていく。 主人公ランボーは友人に会うために訪れた町で、保安官からあらぬ誤解を受け、連行されてしまう。だがそれが、ベトナム帰還兵である彼の『傷』をも目覚めさせることとなった。多くの保安官隊を相手に、立った一本のナイフを頼りに山へと逃げ込んだランボー。 だが圧倒的な優位の差をしても、山狩りを行う保安官隊はランボーを捕らえられない。傷ついては手近にあるものだけでそれを治療し、山に潜《もぐ》っては自然を利用した巧妙な罠を仕掛け、追っ手を退《しりぞ》けるのだ。 「イクラ文明れ|う《》ぇるガ 低イトハイエ ソレヲサラニ原始的ナ アノヨウナとらっぷデ……」 「ウウ……! 地球ニモ、コレホドノ兵士ガイルノカ……!」 こんな兵士ばかりでもないが。もっともあの大佐になら、似たような立ち回りを実演してもらえそうな気も。 グレイとすもーくは、今やランボーの虜《とりこ》となり、固唾を呑んで場面場面を見守っていた。 辛《から》くも山岳の包囲網を脱《だっ》し、町へと降りることに成功したランボー。だが現実は決して甘くはなかった。いかに卓越した技能を持つ帰還兵とはいえ、ランボーはたった一人なのだ。心身ともに傷付き、疲れ果てた彼は、やがて山中で囲まれた以上の軍隊に包囲され……。 (……) どこか悲しいメロディと共に、エンドロールが流れていく。 「オ……オオオッ……! ナント イウ……。ナントイウ 悲劇 ナノデショウ……!」 うちひしがれたように顔を覆《おお》うグレイ。一方、同じ軍人らしく思うところもあるのか、すもーくもまた絞り出すような声だった。 「アレホド優《スグ》レタ兵士ダトイウノニ……。ソウカ……ソウダッタノカ、らんぼー……クッ……」 目頭《めがしら》が熱くなりそうになるのを堪《こら》えながらヒデオは滔々《とうとう》と語り始めた。 「……そうです。彼は何も、金や、名誉を。欲していたわけでは、ありませんでした。ただ、平穏《へいおん》な暮らしを求めていただけ、だったのです。ですが……戦争という狂気が。それを許しはしませんでした……」 ヒデオは今見たストーリーの余韻《よいん》に浸《ひた》るまま、その思いを語った。 「彼ほどの。強靭《きょうじん》な肉体。戦闘力を持った戦士であっても。人間は、やはり、人間なのです。そして人間の心は、もろく、儚《はかな》い。誰しも心までは、そう強くは、なれない。……だから我々人類は、その安息を得るために。平和と、自由を愛するのです」 重い静寂の中、ヒデオは続ける。 「確かに。悲しい出来事は、まだ世界中のあちこちで起きています。ですが……我々は、 そのたび、気付くのです。過《あやま》ちというものに。なぜなら人類には、�痛み�を知る心があるからです」 ヒデオはデッキからディスクを取り出し、ケースへ。 「あなた方の歴史を、僕は知りません。ですが。あなた方が今辿ろうとしている歴史を、我々はすでに経験している。こうしたメッセージは、その結果として残されたものなのです。……それを。理解できないというのであれば」 DVDを片手に、二人を振り返る。 「あなた方が、こうしたメッセージも解《げ》せない程度の、低俗なエイリアンだというのであれば」 魔眼に真の輝きを宿らせながら。嘘やハッタリではなく、ヒデオはこのとき、心からの気持ちを込めて、異星からの来訪者を見据《みす》えていた。 「……何百億の船団で、攻めてくればいい。我々は、戦いましょう。ですが、忘れないことです。その時には自由と平和を守るために。全人類がランボー以上の勇者となり、あなた方の前に立ちはだかるということを」 グレイとすもーくは、どこか悄然《しょうぜん》としたように、ヒデオの言葉を聞いていた。     ・ お店を出て、コバヤシが嘆息《たんそく》する。 「子供の頃以来、久しぶりに見たが……今になって改めて見ると、強烈な映画だな」 「当時のアメリカでは、反戦色が強すぎると敬遠されたほどなのですよー……。しかしマスター、今日はいつになく真剣に語ってましたね」 「……。」 映画を見た直後で、気分が盛り上がっていただけとはとても言えない。夜風に吹かれ、こんな自分が、あんな、全人類を代表するよな大口叩いてしまってよかったんだろうか、と……ヒヤヒヤしながらグレイとすもーくを見守る。 少し離れたところで、宇宙人同士が何やら話し込んでいるのだ。次の瞬間、「よろしい、ならば戦争だ」とか言われた日には……。 「マスター、マスター。そう心配しなくても大丈夫です」 「……。なぜ」 「にひひ……ウィル子はあれからずっと、グレイの母船にあるメインコンピュータで遊んでいたのですよー。大体要領がつかめてきたので、いざとなったら……にほはははは」 なんだ。いざとなったら何をするつもりだ。 「ひでお氏」 グレイの言葉に、はたと振り返るヒデオ。 「……。何、か……」 まずいことになったでしょうか。 しかしそんな心配を他所《よそ》に、すもーくと戻ってきたグレイが手を差し伸べてくる。 「マダ非公式ニデスガ コノ星ニ関シテハ互イニ不干渉トイウコトデ 話ガマトマリマシタ。オ互イノ銀河系ニオケル 冷戦状態ガ コレヲ機ニ 解カレルデショウ」 一緒に、すもーくも。どこか綻んだような顔で、右袖にまとまった触手を差し伸べてくる。 「俺タチノ上層部ハ、既ニ調停ニ向ケ、動キ出シテイル……君ハコノ宇宙ニ平和ヲモタラシタ、ひーろーダゾ! ひでお!」 (…………………………………………。) いや、そんな簡単に解決しちゃうものなの? というか、秩序と平和と自由についてあんなに深く真剣に考え込んだ自分はどうなるの? ウィル子はウィル子で、拍子抜けしたように。 「……ツッコミどころ満載の気持ちはわかりますが、マスター。ここは一応、握手すべきかと……」 (……) ガッ!! こうして異星間を代表する三人は、固い握手を交わし合ったのだった。間髪いれず、取材用コンパクトカメラでフラッシュを連発するコバヤシ。 「もっと胸を張るんだ、ヒデオ君! 君は人類を滅亡の危機から救った英雄なんだからな! MMMR至上、かつてないスクープだ!!」 「……。あの。できれば、顔は」 「ワタシモ オフレコデ 願イマス」 「俺モ、部隊ノ機密|保持《ホジ》ノタメニ……」 言いながら握手はそのまま笑顔(?)を崩さない二人。本当になんか、なんだかなあもう。 「心配無用だ……うちの雑誌はグラビアモデル以外、全員目線かモザイクを入れるのがセオリーなんだからなっーー!」 さすが週刊フライD。 そうして記念になるかどうかも怪しい、記念写真の撮影が終わる。 「アナタノヨウナ 平和ヲ愛スル人物ガ コノ☆ノ代表トナルコトヲ ワレワレハ 願ッテ止ミマセン。ワタシト こばやし氏ノ 勝チ☆ハ ひでお氏ト うぃる子氏ニ 差シ上ゲマス」 「うはーっ。真のイロモノが相手だったので、勝ち星もほんとのタナボタなのですよー」 そして一件落着か、という空気の中。 「デスガ。気ヲ付ケテ クダサイ。ひでお氏」 「……ウム。ヤハリ話シテオイタ方ガ、イイダロウナ」 二人が頷き合う。 「先ホド話シ合ッテイタトキ、ソレゾレノ母船カラ連絡ガアッタ。コノ都市ノ地下ニ、巨大ナえねるぎー反応ガ存在シテイル」 「詳シイコトハ 双方デ 解析中 ナノデスガ……」 まさか、開会式のレナの言ったとおりに原爆が埋まっているとか? それなら爆発しないとエネルギー反応なんて出ないだろう。あるいは……まあ少なからずの人間が暮らしているのだ。発電施設みたいなのがあるだけかも知れないし。 「今度ハ 調査員トシテデハナク 友好ノ使者トシテ オ会イシタイト思イマス。ソレデハ サヨウナラ」 「俺もすぐに帰って、この事実を公表しようと思う! MMMRの特集記事を楽しみに待っていてくれ!」 手を振るグレイと、コバヤシ。センタービルに向かって去っていく。勝ち負けといっても審判も誰もいなかったが……まあいいか。受付で言えばどうにでもなるかもしれないし。 ウィル子が残った火星人に目を落とす。 「……そういえば、すもーくも参加者として潜り込んだのですかー?」 「イヤ。俺ハアノぐれいヲすとーきんぐスルタメニ、すにーきんぐ・みっしょんトシテ、コノ都市ニ潜入シタ」 そう言ってすもーくは、がぼっ、と愛媛みかんの段ボール箱に身を隠した。 「中佐、聞コエルカ! コチラすもーく!」 《ウム、ヨクヤッタゾすもーく! みっしょん・こんぷりーとダ! 帰還セヨ!》 「了解シタ!ソウイウワケダ。短イ付キ合イダッタガ、ひでお、うぃる子、君タチノコトハ決シテ忘レハシナイダロウ……貴君ラノ健闘ヲ祈ル!」 段ボール箱は、がさごそと地を這《は》うようにどこへやら消えていった。 「……まさか、ウィル子」 「? どうしたのですか、マスター」 「この都市の、地下には。核|搭載《とうさい》型二足歩行ロボッ」 「ありません」 と、チョップ一発。 こうして大銀河の架け橋になるという大偉業を達成したヒデオ。しかしそんな功績が大会の今後になんの役に立つはずもなく。 聖魔杯は決勝大会への数少ない切符《きっぷ》を焦点に、修練し始める——。